ロンドン五輪が始まる7月下旬から2週間、30歳代の銀行時代に最初の海外勤務地として家族同伴で6年間滞在したタイへ家族旅行した。最初の1週間は家内と二人、バンコック一泊目の朝は”LONDON 2012″なでしこJAPANの対カナダ戦快勝のテレビニュースから始まり、朝からいきなり気合いが入り気分がググッと高揚した。
早速街歩きを始めたが交通手段は専らホテルから直結しているスカイトレイン(BTS)を利用し交通渋滞から解放されて、すこぶるラクチンであった。こちらに来てまず感じた事は東京との温度差。夜間から朝方にかけてはエアコンをOFF にし、長袖シャツを着用していても十分涼しく感じられたが、何故か当地ではホテル、ショップ、レストラン、電車やタクシー内をフルパワーのエアコンでガンガン冷却するので、半袖シャツでは鳥肌が立ち思わずサマーセーターを羽織ることも多かった。またスカイトレインから降車したとたん眼鏡が真っ白に曇り何も見えないこともあった。連日の猛暑・熱中症の東京を逃れて南国タイに避暑に来た様な気分であった。街角で見掛ける若者達は以前より体格が良くなり活力がある、また女性達は色白でスマートな人が多くなったのではないか(勿論そうでもない人もいるが)。所得・生活水準の向上に伴う中間層の台頭がその一因だろう。消費ブームが肌で感じられ、日本食レストランの多いのにも驚いたが、どこもタイの若い人達で繁盛している。街の人々は皆さん一見の旅行者の私達にもにっこりとほほ笑み優しく接してくれ、家内はBTSの車内で何度も座席を譲ってもらって恐縮していた。
滞在二日目に予めメール連絡していた友人に再会した。彼は私が当地に滞在した70年代には日系自動車会社に勤務されていたが、今や在タイ47年にも及び外資系会計・法律事務所の要職に加えタイ国日本人会会長も務められている。翌日が私の76歳誕生日だったのでそのお祝いをも兼ねて中国レストランで会食を開いてくれた。お互いの健康を祝福して乾杯し、彼が厳選してくれた北京ダック、シーフード他のメニューを贅沢に味わい、異国での忘れられないバースデイ・イヴの会食となった。
76歳の誕生日の朝の目覚めも”LONDON 2012″男子サッカーで日本が優勝候補スペインを破ったニュースで始まった。どう云う訳か人は皆国外にいると愛国心が強くなる傾向があるらしいが、日本の若い男女達のオリンピックでの活躍で気分は愈々盛り上がり、爽快な朝が続く。この様にして”LONDON 2012″と当方の訪タイ日程はパラレルに進行していった。
在タイ一週間目、女子柔道で松本薫の金メダル第1号獲得をTVニュースで知った日の午後、次女と孫娘二人が元気で空港に到着し私達にジョインした。さあ明日からは皆でロイヤル・リゾート地のホアヒンで楽しく過ごそう。
ホアヒンはタイ国王室の保養地として古くから発展した。ゆったりとして優雅な雰囲気が漂い、美しい白浜と波の静かな遠浅の海が南北に細長く延々と続く、快適なリゾート地である。バンコックの南西230キロ、タイ湾に面し海の対岸はパタヤになるが勿論ここからは水平線以外何も見えない。ここを訪れる日本人観光客はまだそんなに多くない。私達は市街地から少し離れた、ビーチに面した広大な敷地の中に閑静でトロピカルな、この世の楽園をイメージして作られたと思われる様な手入れの行き届いた緑豊かな庭園の美しいホテルに滞在し、4泊5日の殆どの時間をそのホテルの中で過ごした。 孫娘達は連日プールで泳いだりウオータースライドを滑ったり、また海辺に出て乗馬を楽しんだり海上を猛スピードで駆け回るバンパーチューブ(別名ドーナッツボート)に乗って絶叫したりして夏休みを満喫している。私は波の音を聞きながらビーチサイドのデッキチェアーで読書をしたり、ホテル内の美しい庭園を散策したり、時には孫達と一緒に泳いだりしてゆったりとした時を過ごす。オリンピック情報は英字新聞や海外テレビ局のスポーツ放送に限られ、日本の選手達の活躍振りがよくわからないので、滞在3日目にホテルのビジネスセンターにお願いしてYAHOO! JAPANからの最新情報を日本語で確認した。
楽しい時間の過ぎるのは早い。ホアヒンでたおやかな時を過ごした5日目の朝再び猛スピードのシャトルバスでバンコックに戻り市内のホテルにチェックイン、明日は娘達3人が一足早く帰国する。
実はバンコックでもう一人タイ人の旧友に是非会いたいと思っていいた、70年代彼とは地場中小繊維関係企業経営者と邦銀支店の企業担当者としてお互いに切磋琢磨して信頼関係を深めていったが、同年生まれで何か心の通い合うものがあって、私の銀行退職後も永らく家族ぐるみの親密関係を続けてきたもののここ数年間連絡が疎遠になっていた。フランス・ベトナム・ラオス系の奥方が住宅街に経営されていた高級ベトナムレストランを連絡の足掛かりにしようと思い、訪タイ3日目には家内と二人で記憶を辿りつつ探し求めたが、それらしき店は見当たらず、やっとのことで探し出した場所は日本料理店の看板が掛かっていた。同日ホテルに帰り持参の古い住所帳を再チェックしたところ彼の携帯電話番号を発見し神に祈る気持ちでダイヤルを回すと幸いにも通じた。”I’m in London.”と聞き驚いたが彼は私達家族での訪タイを喜んでくれロンドンでの予定を切り上げて帰国しバンコックで再会することを約束してくれた。
ホアヒンからバンコックに戻った日の午後早速彼に電話すると、彼は既に自宅に戻っており、娘達の帰国前のその夜急遽皆で会おうということになった。夜迎えの車が来て降ろされたのは何と彼の旧邸宅の跡地に奥方がベトナムの伝統的木造家屋として新築された、先日探しあぐねたレストランの移転先であった。
家内と娘にとっては16年振りの夫妻との再会となったが、最初の一秒で以前の親密関係に戻ることができた。その夜はハーブで包んで食べる本場のベトナム料理に感動しながら時を忘れて遅くまで旧交を温め合ったが、彼はその後事業を拡大された上、今やタイ国通商会議所会頭として多忙な日々を送られていることを知り、その後の彼の精進・活躍振りを心からうれしく思った。彼が英国留学中に学費を賄うためにアルバイトでバーテンダーをしていたと云って私達にお代わりをしたくなる程美味しいマルガリータのカクテルを作ってくれたり、刈谷市の豊田自動織機での研修時代に宿舎の五右衛門風呂に入って足を火傷しそうになった若い頃の思い出等を楽しそうに娘や孫達に話す彼の様子を側で聞いていてそのフランクな人柄は昔のままだと嬉しく思った。奥方は娘の幼女時代をよく覚えていてくれて昔皆でパタヤビーチの沖の島で遊んだこと等を語り合ったりしてその夜を楽しく過ごし、次回東京での早期再会を約して別れたがご夫妻との再会は今回旅行のハイライトであった。
娘達3人が帰国して年寄二人が残り二日間をバンコックで過ごすことになったが、マンダリン・オリエンタルホテルの川辺のテラスにある船着場までチャオプラヤ川をボートで渡りホテルでゆったりと落着いた日を過ごした他は特に名所旧跡の訪問もしなかった。
LONDON 2012日本人選手情報は相変わらず入手困難な状況が続いたがどうやら”なでしこJAPAN”はアメリカと決勝戦へ、男子サッカーと女子バレーボールは韓国と3位決定戦となった様子だ。日本の金メダルは松本、内村の2個のまま伸び悩んでおり、あとは終盤のレスリングとボクシングの格闘技を帰国後我が家で応援する他はなさそうだ。頑張れ日本!愛国心は益々高まる。旅の満足感と五輪への期待・不安感との入り混じった複雑な思いを抱えながら猛暑・熱帯夜の東京に向かって帰国の途についたのであった。
今回のタイ旅行は、LONDON 2012の開会式が私の76歳誕生日に当たったこと、リゾート地で親子3代で楽しい時間を過ごせたこと、70年代からの旧友二人に巡り合いお互いの健康を喜び旧交を温め合って異国に友を持つ喜びを実感したこと等忘れ難いものとなった。
余談: 旅行中私のいびきの轟音が夜通しうるさくて全く眠れないと同行家族全員から総攻撃を受け、ホテルの部屋をグレード・アップした上、私はリビングのエクストラ・ベッドで寝かされたりしてその場の応急対策を計ったが、帰国2日後病院を訪ね専門医による検査の結果重症の無呼吸症候群と診断され、その日以後CPAP鼻マスクを装着して睡眠している。違和感もあり慣れるまでにはまだ相当時間が掛かりそうだが、病気発見のきっかけとなったのも今回家族旅行であり家族の愛情を率直に喜んでいる。