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談話室

原田 修一 合唱未経験者の東京六甲入団のひとり言

―入団まで―
2009年6月23日(火)大変お世話になっている滝沢さんが、「東京六甲の練習を見においで」と誘われ練習後に一杯飲み会もあるからとの事で酒飲みの私は練習を見に行く事にした。(酒飲みの「さが」である)
練習に参加の際、音域を尋ねられ、バリトンであると答えたところ、團野さんの横に座らされ、楽譜を戴いた。曲はプーランクである。
音譜は多少読めるが、それはクラリネットの楽器を吹いていた頃で、ト音記号であったので、ヘ音記号の音が取れない。
團野さんが横で先に音を出して戴き、それに合わせる型で、歌って見た。(少し音がとれた)
―入団表明―
次回の練習日は6/30(火)である。一杯飲み会の会場、中華料理店「万里」で、なんとなく入団を表明してしまった。滝沢さんの戦略に見事、はまりました。
7月1日、正式入団とあいなった時に、東京都の合唱祭に是非参加しなさいと言われたが、自信もなくお断りをし、会場に聞きに行く事とした。
妻を連れ出し、感想も聞きたいので会場に行くと、皆さんのリハーサルの時間であり、團野さんが、リハーサル室に来ればと誘われ、妻と二人で皆さんの後から聞かせて戴いた。妻は、「なんと素敵なハーモニー。是非若い貴方も歌ったら」と、感激しながら妻の了承を得た。(皆さんもお若いですが)

―想い出―
自己紹介の時には、音楽経験年数が上手く伝わらなかった様である。
自分の音楽経験はクラリネット・アルトサックス等を吹奏楽団(ブラスバンド)で演奏していた。(6歳~24歳まで)
そして、私は12歳の時に父と一緒にアマチュアの吹奏楽団(八王子)に入団した。父は37歳であった。(今もこの吹奏楽団は存在し、50年以上の歴史を誇っている)
来週の練習曲は東京都の合唱祭で歌う「浜辺の歌」と「中国地方の子守唄」を練習するとの事を聞いた。
大変なつかしく、クラリネットからアルトサックスに持ち替え、「浜辺の歌」をソロで演奏した事が想い出され、来週も参加する事を決めた。

―練習方法―
「よし、やって見よう」と思い、本格的に参加する決断をした。
しかし仕事の悩みがあり、かなりしんどい時であった。(今もそうですが)滝沢さんに誘われ、幸運にも歌がこの状況を払拭してくれた。(精神的に)
定期演奏会が4月に行う予定で、本格的に定演の曲の練習に入った。
参加できるか不安で、練習方法を考え、ipodを通してMIDIを電車の中で聞こうと思い、ヨドバシカメラに行き購入をしようとした所、iphoneで大丈夫ですよと勧められ、オッチョコチョイの私は携帯で録音も出来るしipodもあると聞き、早速機種変更をし、購入した。
これは後になって幸いした。
外国語の苦手な私は、練習を録音し通勤電車の中で聞く事が出来た。(ドイツ語が分からず辞書を購入。言葉の意味を理解しようとした)

―第3回定演―
「まさか、合宿までやるのか」と、皆さんの熱心さに驚きを覚えた。
プログラム作りや、歌詞集作り担当の滝沢さん、岸本さん、青山さんも一生懸命だったので多少、お手伝いをした。(女子社員も動員された)
あっという間に4月の本番当日。
朝から雪まじりの雨、大変である。客は入るのか、心配であったが、満席の来場者であった。ステージに立つと、昔からステージが好きだったのかなと思うほど、客席も良く見えた。妻の顔も見えた。手を振っている。(恥ずかしくないのか?)
「浜辺の歌」の時である、昔のステージを想い出し、背筋がゾクゾクした。涙が溢れてきた。あー、合唱団に入って良かった。久し振りの感激・感動・感謝である。

―現在―
こうして、合唱未経験者がもう4年目に入った。
今では、練習後の飲み会の会計役になってしまった。滝沢さんの後継ぎである。ひょっとして、二次会用の幹事として入団させられたのかな?(笑)
B1の高倉さんからはコンマス(コンパマスター)と呼ばれ、今週も「万里」で楽しんでいる。
お誘い戴いた滝沢さん、音をくれる團野さん、それと合唱団の皆様に未経験者をやさしくしていただいている心に感謝、感謝。

以上 B1コンマス
原田 修一