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談話室

田邉 弘幸「コレクター(収集家)」

どうやら人には「収集癖」があるようだ。収集癖なる烙印を押された御仁に対しては、何やら偏屈さを覚えたり、少し変人扱いをしたくなる風情もあろうか。コレクターと呼んだ方が良いのかも知れない。「収集家」と呼べば多少は上品に聞こえるから不思議だ。収集家は男女比で見ると圧倒的に男性が多い。殆どの男性は程度の差こそあれ収集家としての顔を持つ。心理学的分析に基づくコレクターの心象と背景が幾つか挙げられている。曰く:
  寂しさを隠す為・・・あるモノを収集する事でその人の行動様式が多彩になる。
  狩猟本能がある・・・食糧確保は生存そのものであり、成功者は女性にもてる。
  脅迫的な心理から・・人は上昇機運を持つ。もっと上を見なければと思いたい。
  ライバル意識 ・・・優越感、尊敬されたい、強くなりたい願望。
  その他幾つか ・・・負けず嫌い・執着心・完璧主義などなど。
(収集家を以って自認される皆様方の心象背景は何処にあったのでしょうかね)

古来、絵画、骨董品などの高価なアイテムから、身の回りの取るに足らないけれども自分にとっては譲れないモノ、などなど、あらゆるものがコレクションの対象となってきた。
先ずは印象に残っている話をひとつ。米国で何度か映画化された「コレクター」と言う映画。1965年巨匠ウィリアム・ワイラー監督による名作がある。但し些か猟奇主義的傾向あり、ジョン・ファウルス原作の同名小説を下敷きにしている。 又、原作は異なるが良く似たプロットでは有名な「青髭公の城」と言うバルトーク唯一のオペラがある。前者は蝶のコレクターである青年が一人の若くて美しい女性と出会う事により蒐集の対象が変化してゆく事を暗示させるエンディングが恐ろしい、後者は領主の新妻が3名の前妻達が捉われている事実を探り出すも何故か4人目の捉われ人となってしまう・・・不条理な話。 グリム童話にも異性を愛するあまり次々と自分のモノとしたい欲望にかられる青年が出て来ると言った寓話もある。人間が持つ心象背景の一つであるとすれば、収集癖とは恐いものである。

翻って、健康的な世界で育った私のコレクションは全く可愛いものであった、少なくとも当初は。小学生から中学生に向け切手の収集に大きな執着心があったことを思い出す。
自分の意思と言うよりもむしろ受け身でのスタートだった。伊勢市に住んでいた祖父(及び先祖)が伊勢神宮に関係していた事より、当時同居していた祖父宅で見つけた、幾つかの古銭、明治時代の切手、初期の葉書、等を我がものとするとともに、孫には優しかった祖父に小銭をせびり少しずつ記念切手等を買い集めた記憶がある。
次の出会いは母親の影響の下に始まった。1959年中学3年生の時だった。音楽大好きの母が買ってくれた初めてのLPで定価は2500円。当時の平均的な月給は2万円強。
ボーナス時に買ってくれた。これが何とワルター指揮になるモーツアルト交響曲41番とベートーベン交響曲6番。以来、高校・大学と多岐にわたるジャンルのレコードを買い求め続けたものである。特に大学に入ってからは、アルバイトの収入を全て中古LPにつぎ込んだ。当時三ノ宮駅と元町駅の間にあった中古レコード専門店「ワルツ堂」のオヤジには随分とお世話になったものだ。日本では未だレコード録音が少なかったマーラーに染まり青春の息吹と喧騒にのめり込めたのもワルツ堂のお蔭だと思っている。
これが高じて1980年7年間のニューヨーク駐在からの帰国時、買い入れたLPは何と2500枚。狭い日本の家屋の壁を粗2面を独占し、カミさんの大顰蹙をかったものである。室内楽、バロック中心のコレクションであった。数年後市場ではCDが幅を利かせ始めた時の遣る瀬無さは相当のものであった。
そして最後の浪費は事もあろうにAutographに興味を持ってしまった事であろうか。
2度目のNY駐在時、それはリーマンショックの後であり、オバマ大統領の就任直後でもあった。作曲家・音楽家限定のオートグラフ(オリジナル)がその対象であった。ロマン派以前のBig Nameは当然手が出ない、これらはMuseum向けである。マンハッタンには大手の古本屋、オートグラフ専門店が3店ある。中で、E34丁目にありそれ自体が歴史的建造物でもある間口の狭い古本屋の6階にオートグラフ専門のフロアーがあった。歴史家、作家、政治家、プロの運動選手等あらゆるジャンルの有名な人物のオートグラフが数多く並べられていた。無論音楽関係も少数ではあるが置かれていた。Naomiと言う上品な初老のご婦人と仲良くなり、ヒマを見つけては彼女と無駄話をする為に34丁目に通ったものである。此方のフトコロ具合、趣向、等を知って彼女が出物の連絡を呉れ、時には現物をみて時には電話でのオークションに参加すべく胸を躍らせたものだ。最大の自慢はマーラー自筆のハガキで、第6交響曲を演奏する際にその指揮者宛てに書かれたものである。
ストラビンスキーとフォーレのサイン入り手書き楽譜、と言っても前者は8小節のポルカ、後者は6小節の歌(メロディ)、等は少し奮発した。但し、シュ―ベルトなどが酒席で戯れに書き散らかしたリートの断片の如しであり、当然作品番号なんぞある訳がない。他にもそれほど高価な堀出し物ではないが、ドビュッシーの手紙、プッチーニが書いたハガキなど10点強を自宅と会社の部屋などにヒッソリと掲げてある。
最近これらを眺めてニンマリとする機会も減ってきた。
扨て次のタ-ゲットは何であろうか?  残された時間は余り多くは無さそうだが?

此処まで筆を進ませてハタと気が付いた。 一つはカミさんの目を忘れていた事。
二つは冒頭に書いたコレクター心理を考えてもいなかった事。
執着心? 負けず嫌い? 脅迫的心理? 褒めて欲しかった? etcどれが嵌るのだろう。
自省は何時も後からくる。 コワイ、コワイ、皆さんもご注意あれ。