菊川春三(しゅんそう)さんからバトンを受けて、ふと思い浮かべたのが、菊川さんのお名前から春の日差しをうけて青々と芽生え始めた「春の草」でした。日頃から、どこにでも生えてくる雑草の逞しさに親しみと一種の愛着があり、独り言を書くことにしました。
「雑草」とは、広辞苑によると「自然に生えるいろいろな草。また、農耕地で目的の栽培植物以外に生える草。」と書かれている。前者はある学者が話していたが「野道に生えて季節の折々に美しい花や、緑で楽しませてくれる草」、後者は「畑や田んぼで野菜やイネと競合して生育し、生産物の生育や収量に影響を及ぼす草」で生産農家にとっては大敵である。
「雑草」が人に異議を申し立てる。「雑草」は人が勝手に作った言葉であり空き地や駐車場に生えて困るとか、人が大事に育てている植物のわきに生えて大事な植物の生育を阻害することから引き抜かれたり防除されるのは人の横暴だ。雑草も一つ一つ名前があり学術的に認められている、総じて「雑草」と呼ばないでほしい。人は言う。「雑草君、君たちは人にとって都合の悪いところに生えるから嫌われるんだ。私たち人間は君たちをそんなに悪く思っていないよ。むしろ雑草魂とか君たちの逞しい生き方を賛美しているぐらいだよ」と。
確かに人の勝手気ままな呼び方だ。薬草や山菜は漢方薬や美味しい食材として用いられるから人は「雑草」とは呼ばない。草食動物にとって美味しい草も美味しくない草もあるが、「雑草」の区別はない。黙々と好みの草を優先に食べている。人が草食動物を貴重なタンパク源としているのだから、草食動物が食べる草は雑草とは言わない。ただ、ワラビ、ゼンマイの類は動物は腹を壊すから、人は牧草地からこれらを取り除く。これも人の勝手な行動だ。
土砂崩れや地形の変形を防いだり、農作物の栽培で下草が必要であったり、人は「雑草」の是非を見極めながら上手く付き合っている。「雑草」は枯れてもきちんと子孫を残すから、この「人」との関わりは永遠に続くであろう。
菊川さんと「雑草」は全くつながるものでありません。お名前を拝借して失礼をいたしました。
この度の熊本地震の被災地の皆様ならびに関係者の皆様にお見舞いを申し上げます。5年前の東日本大震災を思い出しました。大変なショックでしたが被災地の皆様が自ら、また日本全体が元気を出そうと旗揚げし復旧に取り組みました。私たちの定期演奏会の年に、このような震災が起こりましたが、私たちが元気に楽しく歌うことが元気の輪を広げられると信じて、しっかりと歌っていきたいと思います。