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談話室

田邉 弘幸「古代、音楽は数学だった?」

「疑問]
音楽はいつも私たちの手が届くところにあります。当たり前の顔をして其処ここに存在しています。ふと思いました、人間にとって音楽とは何か、或いはどうして音楽が存在しているのか?いつから? 些か気になって、音楽の起源とか、歴史などを調べてみようと思いました。歴史書を紐解けば、古代文明のメソポタミア、エジプト時代から音楽は奏でられています。世界最古の骨笛の化石も出ています(紀元前6世紀)。壁画にも楽器と奏者の絵姿が残っています。
人間を他の生物と決定的に峻別している要素は或いは存在そのものは、その創造性にあります。自己表現をしようとする願望でもあります。それを体現するのが技術(Art)であり、後世では芸術と呼ばれているものです。自己表現のArtとしての絵画であり、彫刻であり、音楽、等々なのでしょう。絵画・彫刻の類は、先史時代からの人間の営みとして、その痕跡・遺跡がいくつも残されています。しかし、音楽は少し状況が異なります。それは音楽行為自体が、瞬間の芸であり、痕跡を残さずに消えてしまう事と関係があります。古代の音楽には楽譜はありませんでした。記録として残されなかったのです。どの様な音楽が奏でられていたのか知る術はありません。
音楽史上では、体系的な音楽の解明と発達はギリシャ時代からと言う定説に従い、少しその痕跡を調べてみたいと思います。

「ギリシャへ」 
西洋文化(歴史的には世界文化と言えるかもしれません)発祥とされる古代ギリシャの時代は、真理追及の哲学と世界を数理的に把握する数学を中心とする学問体系の基礎が構築された時代でした。
ソクラテス、ピタゴラス、プラトン、アリストテレス、と言った学者達による真理の追及(哲学、数学)、ホメロス、サッフォー、アナクレオン、オルフェウス、ピンダロス、3大悲劇詩人(アイスキュロス、ソポクレス、エウリピデス)などの手になる総合舞台劇。これらの名前を思い出すだけで、如何に大きなインパクトを後世に及ぼしたか分かりますね。
そして、私に取り重要な事はこれらの天才的先達が全て何等かの形で「音楽」に関与していたと言う事実なのです。学問としての音楽(実はギリシャ時代の音楽は数学であり、天文学でもあったのです!)はピタゴラスにまで遡ります、加えて当時の音楽理論は多くの書き物によって確認する事が出来ます。一方、アクロポリスの大劇場で(ディオニュソス劇場の一部が遺跡として残っている)上演されたギリシャ悲劇を始めとする多くの舞台劇は、演者・舞踊・音楽が一体となって演じられていたと記録されています。少数の俳優と15~20名の合唱(コロス)を中心に進行したとあります。オーケストラ、コーラス、シアター、ハーモニー、ドラマ、など今日、音楽・芸術一般に関する多くの言葉はギリシャ由来です。
ではどんな音楽を奏でていたのでしょうか? 残念ながら、それを証明できる記録は残っていません(楽譜もCDもありませんでしたね‼)。
それでは、学問としての音楽(音楽は数学?)に触れる前に、興味を引くお話を少し。

[ギリシャ神話と音楽]
ギリシャ神話に出て来る、「太陽神アポロン」は理性と知性を司ると言われています。その手には竪琴を持っており、理性的な音楽を代表します。一方対立する形での「酒の神ディオニュソス」は手に盃とアウロス(管楽器の一種)を持っており、感情と恍惚の音楽へと誘います。太陽神アポロンは(ゼウスの子供たちである)9人の「文芸・音楽」を司る女神たちを従えています。ムーサ(pl,ミューザ)達です。それぞれ、担当領域を持っています。
カリオペ(叙事詩、筆、最も賢い女神)、クレイオ(歴史、巻物、フェルメールの絵画で有名)、エウテルぺ(抒情詩、笛)、タレイア(喜劇、仮面、アフロディティを囲む三美神の一人)、メルポメネ(悲劇、仮面、女性歌手)、テルプシコラ(合唱、竪琴)、エラト(独唱歌、竪琴、フランスの大手音楽系出版会社)、ボリュムニア(歌舞,賛歌),ウラニア(天文、杖、)。9女神の内、エウテルぺ、メルボメネ、テルプシコラ、エラト、ウラニアはそれぞれ、天体の小惑星の名前が付けられています。そして、この9人の女神が司った万象をムシケー(mousike )と呼びました。ミューズの恩寵にあずかる人間の営み、とでも言いますか。このムシケーが現在のミュージック(Music)の語源だと言われています。厳密に言えばギリシャ時代のムシケーのコンセプトと現在のミュージックとはその内容において相当の乖離があります。古代のムシケーはより広範な学問全体の調和、或いは宇宙全体の調和が保たれている世界を表しており、現代でのより狭義な音楽を完全に包含しているコンセプトであったと言う事が出来ます。ギリシャ神話の世界ではムシケー(広義の音楽)存在は大きかったことが分かりました。神話誕生に至る背景の一部を物語っているとも言えましょうか。
因みに、「クラシック音楽」は世界共通語ですが、クラッシク=古典 ではありません。
ラテン語のclassis(階級)の派生語であるclassicus(第1階級に属する、最高水準の)が語源となっている様です。ギリシャ時代以降最近まで(19世紀初頭くらいまで)、学問を探求し、音楽・演劇などに勤しむ事が出来た人々は限定的だった事の証とも言えるかも知れません。

[学問としての音楽]
此処で愈々、ピタゴラス(紀元前6世紀)の登場です。
ピタゴラスの定理(三平方の定理)の発見者である、この著名な数学者・哲学者は「音楽理論の祖」とも言われています。そして音楽に関する影響はプラトン(紀元前5~4世紀)、アリストテレス(紀元前4世紀)にも引き継がれていました。ピタゴラスが、音の響き方(周波数)と音の高低(音律)の関係には一定の法則がある事を発見した時の有名な寓話が残っています(音響に関するピタゴラスの定理)。
周波数に関わる有名な挿話を一つ。
「 鍛冶屋で聞く槌の音はバラバラに聞こえるが、時に協和して一致する音を聞く事があると感じたピタゴラスは職人の協力を得て音律と周波数に関する実験に乗り出した。即ち、槌の重さが同じであれば音は協和する(周波数は完全に一致する)、又、一方の槌の重さをもう一方の半分の重さにすれば、同様に音が協和し丁度オクターブ(ド→ド)を響かせる。弦で言えば、一方の弦の長さを半分にすれば周波数は反比例で2倍となり、二つの音は完全に協和する。更に夫々の槌の重さを単純な比率で一定の調整を加える事により、美しく協和する比率を割り出した。」
これら協和する振動数の比率は(いずれも“ド”を起点として考える);
1:2 完全8度(ド→ド:オクターブ)、 
2:3 完全五度(ド→ソ: 全音・全音・半音・全音)
3:4 完全4度(ド→ファ;全音・全音・半音)
   (当時音階をド・レ・ミ・・・・と呼んでいた訳ではない)
と言う法則を発見しました。槌の重さも、弦の長さ、笛などの長さの比率も同様。
2/3の比率は完全五度を表示し、3/4の完全4度を加えればオクターブになる、数学的には2/3x3/4=1/2 と言う数式で証明されるとしていました。
そこで、ピタゴラスはオクターブ内の全ての音・音程を周波数3:2(完全五度)の連続から導くべく詳細な計算を行った訳です。基準音(C )の完全五度上の音は(G)となり、この(G)を起点に2:3の周波数が合致するところ(完全五度)は(D)となります。が、これはオクターブを超えているので、1オクターブ下げ(周波数を半分にして)基準音(C)の2度上の(D)としました。次いで、更にこれの完全五度は(A)・・・・と言った同じ様な計算を繰り返し、12回目の計算で基準音の(C)に戻る事が立証された訳です。オクターブ内の全ての音が12音(半音)あると言う事が証明されました。
これがピタゴラス音律ですね。
(但し、完全五度の周波率比で決められた音律は、基準音(C)に戻る最後の音程の距離が(F→Cの間で)少し幅が小さくなる計算結果となりました(1:0,987)、「ピタゴラスのコンマ」と呼ばれているそうです。つまり基準音のCとオクターブ上のCの音は微妙に異なる、調和しない事になります。又、完全5度と完全4度が基本のピタゴラス音律では、3度は調和しない事も知られていました。グレゴリア聖歌の如き単旋律でハーモニーの無い音楽であればこの様な誤差は気にも留められなかったのでしょうが、ルネッサンス以降音楽の構成が複雑化するとともに新しい音律が生れたのでした。純音律が生れ(音の調和は完璧だが、転調出来ない欠点がある)、12音間の周波数比率は全て同じとする現在の平均律音律へと変遷を遂げたと言われています。
因みに、ヴァイオリンの調弦は低い弦からG・D・A・Eと間隔が完全五度、ビオラとチェロは、C・G・D・Aと完全五度の調弦となっています)

ところで、音楽表現の証となる楽譜ですが、残念ながらギリシャ以前の音楽も含めて音楽的記録(楽譜)は残されていません。ギリシャ時代には断片が幾つかあった模様ですが、殆ど読み取れず従って当時の音楽は再生できないのです。
楽譜の登場は9~10世紀のグレゴリア聖歌の手書き楽譜(ネウマ譜)の登場迄待たねばなりません。中世においては宗教色の強い音楽とならざるを得なかったのは必然としても、楽譜を得て初めて詳細に設計された体系として成立させた西洋音楽が、その後1000年以上にわたり世界の主流となった訳です。 音楽は有史以来、世界中で独自の発達を遂げてきましたが、それらの殆どは口伝を中心とする伝承であり、どの民族もどの地域も楽理も含めて体系的に音楽を構築する事はできませんでした。(ネウマ譜のコピーを添付しました)

[哲学と音楽]
ピタゴラスの影響を大きく受けた偉大な哲学者にプラトンとアリストテレスがいます。
プラトンはピタゴラスの数学的世界を受け入れ、この様な数学的比率論を宇宙規模にまで援用し、宇宙の調和はこの様な数式・数比関係により均衡が保たれているとしました。
音楽もこの世界の調和の中に場所がある、としたものです。
プラトンが開講した「アカデミア」の教科は哲学と数学中心ですが、予備科目として幾何学、天文学、音楽理論などが教えられたとあります。この様にプラトンに代表される古代ギリシャ時代の学問の展開が,後世「リベラル・アーツ(自由七科)」の源流となったわけです。
又、プラトンは著書「国家」の中で、師であるかの4大聖人の一人ソクラテス(紀元前5世紀)が音楽について語ったとされる言葉を残しています。
「音楽・文芸による教育は決定的に重要である。リズムと調べは魂の奥深くしみこみ
力強く魂をつかむ。人に気品のある優雅さを齎し、人間として形をつくり、正しく育てる。」

さてもう一人のアリストテレスはどうでしょう。彼はプラトンのアカデミアで20年間も学問を学んだ高弟でした。音楽の基礎に数比の関係がある事は認識しつつ、本来の音楽は,
人間の感覚に作用するものとしての音楽 → 重要な教育手段としての音楽 → 高尚な楽しみ・知的教養としての音楽、と言った考え方を示すに至りました。どちらかと言えば、教養としての音楽が前面に出され、芸術としての音楽と言った考え方を打ち出したと言えます。
これは弟子のアリストクセノスにも引き継がれ、ピタゴラス・プラトンによる数的・宇宙論的思考形態と、アリストテレス・アリストクセノス連合による感覚的・経験的思想との交錯した世界へと広がり、その後の中世に至る音楽を中心とした歴史のなかで変転を重ねながら伝播していったものであろうと思われます。
それにしても、ギリシャ的思考の基本をなす弁証法的考え方、即ち先のアポロvsディオニュソス、このピタゴラス・プラトン vs アリストテレス・アリストクセノス、による対位的
な考え方が音楽理論からも見られたことになります。その後の西洋哲学史上の弁証法理論との共通点が浮かび上がってきます。

[結びにならない結び・・・] 
プラトンのアカデメイアに端を発した真理探究の学問体系は中世の自由七科へと発展しました。これらは、文法学、修辞学、論理学(3科trivium, 人文社会学)、算術(数論)、幾何学、天文学、音楽(4科quadrivium, 自然科学)であり、中世以降広く各大学で取り入れられた教養科目となりました。将に現代にいたるまでのリベラル・アーツの原型であります。
余談ですが、ハーバード大学やMITなど多くの大学では古くから専門課程としての音楽学科が設置されています。また、教養科目としての音楽科目を選択するが学生が毎年1000名単位でいる事は驚きです。ギリシャ以来のムシケー的世界観があるとは言え、学問の在り方、その実践、社会への影響などなど、考えさせられますね。

少し長くなってしまいました。この続きは又の機会が御座いましたら。
以 上

(註)本稿はさる私的研究会での「自由発表」の原稿であり発言内容の纏めです。  TRMC「談話室」用に一部書き直しました。何分音楽に関する豊富な知識をお持ちの団員の皆様ですが、恥ずかしくも勇を奮って提出させていただきます。当方浅学の身でありまして、皆様からのご教示を頂くのは大歓迎ですが、緻密な論拠での反論の才は備わっておりませんので、予め御了解下さい。

(参考文献) 
皆川達夫    「楽譜の歴史」音楽之友社
久保田慶一他  「決定版 音楽史」 同上
松田亜有子   「世界の教養・・・クラシック音楽全史」ダイアモンド社
金澤正剛    「ヨーロッパ音楽の歴史」音楽之友社
菅野恵理子   「MIT音楽の授業」あざ出版  
同上      「ハーバードは音楽で人を育てる」アルテスパブリッシング
パウル・ベッカー「西洋音楽史」河出文庫
(河上徹太郎訳)
岡田暁生    「西洋音楽史 クラシックの黄昏」中公新書