LOUNGE
談話室

團野 廣一「男声合唱が愉しい」

私は、1993年に三菱重工から三菱総研に転出、2004年に同社を辞したが、その後も今日まで7件の社・財団法人、ベンチャー会社を手伝っていて結構多忙であったし、今も「忙しがり屋」を続けている。しかし、古希を迎えた時、時間に追われる生活の中でも少しはゆとりをもってQOLを保持したいと考えた。爾来3つの目標を定めて、今も私なりにそれらの目標に向けて努力している。 一つは劣化する頭を敢えて使うこと。リベラルアーツ研究会に入り、自由学習の結果を発表し合っている。その読書会ではアダム・スミスやマックス・ウェーバーの代表著作を読み直してきた。今は西洋法制史に取り組んでいる。 二つには衰えた身体をなるべく動かすこと。毎日2回のラジオ体操、一日7000歩の歩行、週一度の下手ゴルフのプレイを励行している。 そして最も力が入っているのが三つ目の男声合唱の練習である。 2002年に神戸大学グリークラブ同窓の10人余りではじめたが、15年続いた今では約40名が毎週火曜日に神田の教会に集まる。 昨年からは、ヴォイス・トレーナーとして東京芸大オペラ科修士課程修了のバリトン歌手伊藤純氏を迎えた。 また、合唱指導者としては、10年間指導願った仲子誠一氏(東京芸大ピアノ科卒)に代わって、同大声楽科卒で各地の合唱団・吹奏楽団・オーケストラを指導しながらソリスト(テノール)として活躍する竹内公一氏を招聘している。 合唱団員は70歳以上のシニア中心であり、合唱経験のない方々もいて、団全体としての歌唱力には限界がある。それでもPCで音源が送られるから各自が自宅で予習出来る。指導者宜しきを得て実力は少しずつ上がっているように思う。継続は力である。

毎回の練習は、まず10分のストレッチ体操、20分の発声練習・和声訓練から始まる。歌詞の発音とリズム読み、パート別譜読み(音程・テンポ・リズム・曲想)、全員合唱練習と進む。150分の練習である。今は来年の定演に向け人気作曲家・信長貴富の日本の歌とシューベルトのWINTERREISE(冬の旅)の男声合唱版他に取り組んでいる。昨年はケルビーニの男声レクイエムを演奏した。今年5月にはワグナーのタンホイザー他オペラ合唱曲4曲をオーケストラ伴奏で歌った。

私は月に3-4回は各種の演奏会に出かけるが、やはり人の声帯が最も優れた楽器であると思っている。音量・音質だけでなく歌詞で表現できるから感情移入も容易で歌い手と聴き手の共感も得やすい。兎に角、声楽曲が好きである。 さらに合唱曲となると和声によって幅の広さと迫力に訴える力がある。各人の声はデリケートに異なるがうまく合うと最高の空気を体感できる瞬間がある。 合唱は聴くのもよいが仲間と共に歌い合うとそれぞれの実力に応じてそれぞれが愉しむことができるのが良い。特に男声合唱は混声に比べて声が同質でハーモニーがとり易く感動できる。 最近発声練習の成果が出てきたのか、わが団の中でも「倍音」を聴けるようになった。例えば、ベース・パートが声をそろえて基本周波数C(ド)を発声すると、第5倍音のE(ミ)や第6倍音のG(ソ)がかすかに響く。このように各パートの声が一本にまとまった状態で4声部が合唱すると、音程の協和だけでなく自分の声が全体の音響に吸い込まれるような感覚になり無類の快さに浸ることができる。 わが国合唱界の神様と言われる田中信昭氏によると、「倍音から導き出された音律・純正律で音を合わせるとC(ド)=1を基準とする周波数比率が単純な整数の音程で重なるときに歪みや唸りのない美しいハーモニーを創ることができる」という。確かに、長三和音即ちドミソ・ファラド・ソシレの和音は、いずれも周波数比率が4:5:6である。

さて私の場合、中学・高校ではバレーボールの選手をしていたので、合唱には縁がなかったが、大学に進学してグリークラブに入部 闇雲にロシア民謡や黒人霊歌等男声合唱曲を歌いまくった。それでも4年間もやっていると楽典の基礎もわきまえて譜面は自由に読めるようになり、それなりに重厚なハーモニーも愉しめるようになった。 しかし、1956年三菱造船に就職すると、5年余り長崎造船所勤務中は長崎に男声合唱団もなく折角の愉しみを続けることはできなかった。 本社に転勤になっても数年間は三友合唱団(混声)には参加したが男声合唱には縁がなかった。 1966年から3年は海外勤務、帰国後も発電プラント輸出という海外出張が多い超多忙職場に配属され、その後の国際部・社長室勤務でも仕事に追われ、また三菱総研への転職もあって、結局、合唱活動なしの空白期間は35年余りにもなった。 ただ、その間も決して音楽への関心を失うことはなく、寸暇を惜しんで音を求め音を聴いてはいた。休日は、自宅でオーディオを鳴らし、演奏会にも足繁く出かけた。海外出張中も土曜・日曜が入ると、例えばニューヨークではカーネギーホールへ駆けつけブロードウェイの空席を探した。メキシコではマリアッチ広場へ毎夜のように通った。ブダベストでジプシー小屋へ迷い込んだこともあった。

2002年に、前述のとおり、漸く「東京六甲男声合唱団」を立ち上げ、長年待ち望んだ、仲間と共に愉しむ居場所が出来た。発足当時に比べると随分レベルが上がり、昨年からは、前述の様に、八面六臂の活躍中の立派な指導者二人を迎えて刻苦勉励に努めている。所詮は素人の趣味の域を出ないが、日々新たに学ぶところがありそれなりの達成感は得られる。アンサンブルが愉しめるのが嬉しい。

本稿を記述していて、何故自分がこんなに音楽好きになったのかを振り返ってみた。 一つは父親のDNA。父は若い頃オーケストラのメンバーであったらしい。大変な音好きで私の幼少の頃から電気蓄音器で毎晩レコードを聴いていた。 二つには小学校の担任教師が音楽の先生であったこと。当時の軍国少年教育では軍歌ばかりを歌っていたが、譜読みや調音等ソルフェージュを教えてくれた。 そして三つ目が大学のグリ―クラブで資質豊かな仲間たちに出合えたことである。これらの影響が私の音楽好きの後天形成となったのであろう。父親、小学校の先生、グリークラブの仲間達に感謝するばかりである。

受け売りであるが、孔子の言葉に「子曰く、詩に興り礼に立ち楽に成る」というのがあるという。言葉を習得し礼節を心得るだけでは人間は熟成しない、最後は 音楽である、というのである。十有五にして学に志し中国琴を奏し作詞作曲もした孔子は、人間の原点を踏まえれば最後は「楽に成る」と説いたのである。 男声合唱に興じていて「楽に成る」とは思えないが、数多くの演奏にも触れながら自分でも精一杯歌い続けて、晩年の豊かなQOLの一助としたいと思っている。